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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

ファイト・クラブ/今日は死ぬにはいい日か?

「今日は死ぬにはいい日だ」

ヒクソン・グレーシーの有名なセリフ。試合前にこのように執着を切るのでしょう。

この先も、これまでも、すべての連続性をいったん断ち切って、いまこの瞬間にすべてをつぎこむ。

何百戦かわかりませんが、伝説的な強さを誇る格闘家にしてはじめて凄みが出る一言。

「でもさ、今日は死ぬには本当にいい日か?」(オドオド)

このような疑いがよぎってしまうのが凡人たる僕らの悲しいところです。

空は曇ってるし、散髪の具合もイマイチだ。エッチなDVDも片付けてないしな。

親孝行ももうちょっとしたいし、車のローンも……

と、いろいろなどーでもいい想念が頭を駆け巡って、やっぱ死ねないな。人生続行!

てな具合に落ち着く。

愛すべき小心さというか、人間らしい可愛らしさだよね。ここが簡単に吹っ切れるようなやつはそれこそどこかネジが飛んじゃってるから、要点検。

でもさ、そんなぶっ飛んだカッコよさに憧れたりするのも人の性。

映画「ファイト・クラブ」はそんな素敵にイカれた男を、みんな大好きビラッド・ピットが演じてくれています。

これ、暑苦しい格闘モノのアクション映画と思うなかれ、そうではなく自己同一性をめぐる非常に思索的な映画なのです。

インテリア雑誌に出てくるような、オシャレな家具に囲まれた生活を送っているある男。北欧の家具とかさ。生活自体がアートというか、そこまでいかなくても神経質に調律されているライフスタイルを送っている男が、そのうちに実は、破壊的な衝動を秘めているという話なんだよね。

ジキルとハイドといえば、似てるかもしれないけれど、少し違う。

二重人格といったものではない。二つのペルソナは平行して走るプログラムであり、最終的な局面に近づくまで齟齬といった齟齬は生じない。愛憎関係はあるが、あくまで二つの肉体を持った他人として関係し合っている。

細部は忘れたが、自分が自分でなくなるような恐さの裏に隠れた快感、自分でなくなってしまいたいという衝動はたまらなく好きだ。

人間だけが持つ「意識を振り切って進もうとする意識」だ。

ブラピ演じるタイラーのような男だけが、こう思うことができる。

「今日は死ぬにはいい日だ」なぜなら「おれが死ぬ日」だから。

自分が滅びることで、今日という一日が祝祭になり、歴史の重大な一ページになるだろう。こうなればもはや狂信者の思考だが、それを観るのも映画なら悪くない。

平行したふたつの人格は統合され、カタストロフに向けて跳躍する。

デビッド・フィンチャー監督。

死ぬふさわしい今日という日が、同時に生きるに恵まれた一日であるように!

$続・エビで龍を釣る