読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

霊眼/ファーストアイ

古本屋さんで300円で買ったミステリ『霊眼』です。

はい、全体的にくらーいトーンで一晩で読み終えたのですが、背筋がぞっとしました。この本はおそろしい心霊世界、どろどろした前世よりの宿業など、夏には早すぎるオカルト度で、読後カキ氷を急いでかきこんだみたいに頭がキーンと冷えました。

でもさ。期待してたのとは違うんだよね。

ぼくが予想してたのは、すべての超常現象と見えた現象に現実的なカラクリがあり、最終的なオチになっているというものでしたが、そのままハイパーリアルなまま突っ走りました。もう少しサイキック度を上げれば立派なファンタジーとかSFとかになったでしょう。

なにしろ、出てくるほとんどの人物が霊能力者で、途中主人公まで第三の眼を開眼させられ、あっち側へ飛び込んでしまうのである。

では、面白くなかったと言えばそうでもない。けっこう楽しめました。300円以上の価値がある。

あらすじ的には、謎の死を遂げた夫の、残された妻であるヒロインが、さらに巻き起こる災厄に悩まされながら、消息不明となった友人のライターを探すという話です。

友人のライターっていうと火をつけるアレと思われそうだな。

ライターの友人ね。

その友人の追っていた事件というのが、なんちゅうか壮大かつ荒唐無稽な世界に繋がっているのだがそれは読んでのお楽しみ。

面白かったのは作中に示された「第三の眼」についての見識である。

ヨガではアージュニャー・チャクラだっけ。

仏様の額にも白毫という巻き毛がある。そっから世界を照らす光を放つらしい。迷える衆生を導く灯台でしょうか。

いろんな宗教的伝統でシンボライズされているので、知っている人も多いでしょう。第三の眼。

額の真ん中にあり、解剖学的には松果体と密接な関係があるらしい。そこを活性化させるとどうなるのか。見えないものが見えるようになる。というわけ。

チベット僧を騙ったイギリス人の有名なロブサン・ランパ『第三の眼』や、古代から現代まで行われている頭蓋骨穿孔手術トレパネーションなど、人工的にその眼を開眼させるための試みに触れたあと、物語は曲がり角を曲がって加速していく。

僕が面白かったのは、その科学的な部分である。これはあるいは、作者のオリジナルの学説かもしれない。

もともと、生物の眼、つまり光の受容器官はひとつだったそうである。

しかし、それだけでは三次元空間を立体視できない。過酷な生存競争に支障をきたす。

誰でも片目をつぶってみればいい、世界は平板に二次元化して距離がうまく掴めないはずだ。そこで、一つ目はやがて二つに分れ、両眼になった。

三次元空間を得るために眼が二つになったのなら、三つ目になれば、四次元空間が把握できるようになる? そんな単純なわけがない。

むしろ話は反対だ。もともとひとつだった眼が分化する前にあった場所、それが我々が第三の眼の呼んでいる場所なのだ。

つまり、それは第三の眼どころか最初の、第一の眼なのだ。

これはなかなか刺激的な論説だった。

太古、生物はたったひとつの眼で何を見ていたのだろう。右と左という概念、天地と昼夜、巡る陰陽、すべての二極的な概念はいつ生まれたんだろうね。

はじまりの視界の中に佇めば、もう一度すべてはひとつに統合されるのかもしれません。

そういった先祖帰りが、意識の目覚めや悟りと結び付けられて考えられていたのだとすれば、やがて「僕たちはどこへ向かっているんだろう」という古びた問いにもう一度直面させられる。

大昔失ったものを取り戻したいのか、それともあらたな進化の途上にあるのか。

宙ぶらりんにもう少し耐えてみるしかなさそうです。

おススメなので、定価で新品を買うのもいいでしょう!

ちなにみにこの作中に出てくる霊能者はよくもわるくもリアルです。自らが他を凌ぐ一流の能力者だという矜持(根拠はないのだが)をみんなもっていて、非常に頼もしいのです。

わたしなんかまだまだです、なんていう謙虚なやつはその名に値しないのである。物語的にもつまんないしね。

ヒロインがそんな世界に反発をおぼえつつもついには引き込まれてしまう過程そのものが、人の危うさと可能性を同時に表現していて興味深くもある。