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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

フランシス・ベーコン展/広大な密室の日付のない午前ちう

豊田市美術館で観てきました。

フランシス・ベーコン展。すっごくよかったです。

絵を観て感動のあまり、泣くとか、恍惚として時間を忘れるとかね。無防備に、その手のことをのたまう人を見るにつけ「なにを大げさな、絵よりそーゆー自分に浸ってんじゃねえの?」と底意地の悪い想いを抱いていた僕ですが、ここは素直に謝りましょう。

ごみんね。

そういうことってあるんですね。ひねくれ権蔵でした。己を恥じて、今後二度とかようなことなきよう心魂の「反省」の二字を刻んで生きていきます!!!

ほんとごみんね。

ま、そーゆーわけでありましたので、この度、僕も涙腺に異常はなかったものの、ひどく感動し、恍惚に打ち震えたわけであります。

脳内麻薬ダダ漏れ

言いたいことはたくさんあるし、いままで多くのなされてきた批評と重なる部分もあるかと思うけれども、よーするに何が言いたいかというと、、、、

なんもないや。

いや、ほんと。ただ、観てると幸せ。あのベタ塗りのピンクやオレンジやグリーンの平面を。孤や直線のひどく幾何学的なかすれたラインを。そしてなによか、あのプランク時間の刹那ごとに明滅し蠢動する生命体たちを。

なんでこんなにクル(!)んだろう。神経に、リンパ腺に、直腸に、前立腺に、大脳辺縁系に、ともかくデロっとクルんだよね。

そしてびっくりすることに、あの絵が、物事を限りなくありのままにまっすぐに見つめた人間のその見えたままのビジュアル表現だと思えることだ。

恐ろしいものや凄まじいもの、あるいはグロテスクなものを描こうとしたのではない。狂気の表現でもなければ、張り裂けるような孤独の漏出でもない。

心象イメージを具体化したものでないし、奇異なものをことさらに狙ったのでもない。幼稚で微温的なシュールレアリズムからも程遠い。確かに世界はああ見えることがあるのではないか、と信じさせる。

どこまでもまっとうで平静な精神において、だ。

$続・エビで龍を釣る

ぼくらは風景が風景に見えるように、人間が人間となるように、取り込んだ情報をわかりやすく編集している。もしある日、その作為に満ちた欺瞞的な操作を止めてしまうとしたら、即座に世界はあれらの絵のようになっちゃうんじゃないか。

そう思う。だから、あれはああいうものとして確固として存在している何かの姿なんだ。

物語性も方便も欠いた、あっけらかんとしたそのまんまの世界を、僕は見せられた気がして、きっとちょっとだけ調子が狂ってしまったんだろーな。

地球の外の、宇宙の外の、どこでもない広大な密室で、事件なき事件が起きた。

そんなふうだ。

でもねーか。大仰だし、ファンタジックすぎる。

南泉和尚が猫を両断した。越州和尚は草鞋を脱いで頭に乗っけた。

そんなふうでもある。でもなー禅話じゃ渋すぎる。なにより漢字が多すぎ笑

でも、物語性をぶっちぎってて、脈絡を翻して、ただそこに存在しているという意味ではアリかもしんない。

ようするに、あんまりにもありのまますぎて、僕らには度を超えて見えてしまう現実ってのがあるのね。

$続・エビで龍を釣る

また言葉を弄することでややこしくないことをややこしくしてしまった。まったりみてるとまったりしてくるのでおススメだし、実物はかなり中毒性が強いんでおススメしかねる部分もある。

そこらへんあわせてこみこみでおススメです。

$続・エビで龍を釣る