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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

交響曲は鳴っている

佐村河内守さんを知ったのは、あるブログでだった。

全聾、つまりまったく耳が聞こえなくなったのは、35歳の頃だったという。作曲家である彼はその時、僕たちも大好きなゲーム「鬼武者」の音楽を制作していたという。

音楽家にとって聴力が失われるという恐怖は想像するだに余りある。ベートーベンの聴力についてはよく知られている。絶望を踏み越えてなお音楽を生み出し続ける才能と執念と、さらにそれをさせる運命といったものはなんなのだろう?

$続・エビで龍を釣る

数々の生涯に苦しみながらの作曲。ウィキペディアにはこうある。

抑鬱神経症や不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作、腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける」

生い立ちも生半可ではない。

「特に頭鳴症による耳鳴りについて、佐村河内は「父と母が、そして歴史が聞いた『原爆の音』。それを私の血がいま、聞いているのかもしれません」と述べている」

被爆者の両親を持つこと。それはどんな意味を持つのだろう。日本と世界の負の歴史の一面を背負うことでもある。悲劇を過ぎ去らないものとしてその身に刻印して生きる? 

言葉にする白々しさに呆然とするほかないが、そういうことでもあるし、それを遥かに凌駕する何かであるかもしれないし、もはや過酷であってもただの現実なのであるかもしれない。つまりそうでない僕らには「わからない」ものだ。

彼が制作した交響曲「HIROSHIMA」がオリコン総合チャートで2位を記録したという。

現代作曲家の交響曲というものは、あまり演奏されないのだという。それは新しく取り組むには大掛かりすぎ、費用がかさみすぎる。演奏家もすでに古典となった曲、間違いなく何度でも再演されるであろう曲をマスターしておいたほうが賢いのかもしれない。

そんな状況の中で、あえて彼は交響曲を作曲し、しかもそれはヒットした。歴史の一頁になるだけでなく、何頁にもわたるスタンダードになるといいのだが。どうなのかな。

とてつもない才能や成功。その影で大きな障害や苦しみを背負っているという例は多い。

最近ジョニー・デップも片目がほとんど見えていないとカミングアウトしていたし、ブラッド・ピッドも人の顔が見分けられない失貌症という症状を抱えていると報道されていた。

人の羨むようなスターでも、ちっとも羨ましくない実状の中でもがくようにして生きているんだろうね。

才能も乏しければ成功もおぼつかない僕でさえ、子供の頃からの難聴でちょっと困っている。あるタイプの声が聞き取りにくく、仕事でも声の小さい相手だと、何度も聞き返すはめになってしまう。

相手にも失礼だし、なによりそんな自分に苛立ちを感じてしまう。ぶつけようのない怒りだ。

これ以上耳が悪くなったら補聴器も考えなければいけないかもしれない。もしくは読唇術を身につけるか笑 

それでも、なんとか乗り越えていくだろう。いや、乗り越えたりはしない。ただ折り合いをつけていくんだろう。心身の不調や疾患は、魂にこびりついた偏向性を取り除いてくれることがある。

難病になったこともあれば、鬱病になったこともある。性病はそんなにない。

失恋は数限りなく、家庭環境も問題あり。顔はイケメンだが、それはオラウータンの群れに入ったら、の話だ。

並べてみるとけっこう豪華なラインナップかもしんないが、それだから不幸だとか、人生ハードモードだぜとか思ったことはない。むしろ、それゆえに幸福なのだと言い切れる。強がりでも虚勢でもなく、ホントそうなんだよね。

なぜか、この僕に与えられた設定すべてが、僕だけのために考案された特別強化プラグラムだと思えるから。この現実が、僕のために用意された一番効率のよいドリルなんだと信じられる。

なにも他の人もそうだから、不幸を嘆くなとか、愚痴るな、と言いたいわけじゃない。最初に見たように想像を絶する過酷な現実を生き抜いている人もいる。

ただ、僕はどこかで完成図をかいま見てしまった気がするのです。

幸も不幸も成功も挫折も全部を含んだ人生のタペストリーを。それはありとあらゆる汚点と恥部を含めて、まったく隙のない美しさを湛えて、そぎ落とすべき部分はひとつもない。

それは交響曲にたとえてもいいかもしれない。

悲壮なパートもあるだろう。しかし、それは壮大な構造としてすべてを眺めたときには、滑らかで継ぎ目のない物言わぬ美しさの片鱗としか映らないのではないでしょうか。