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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

四畳半神話体系(アニメ版)/無法者には一畳でも広すぎる

$続・エビで龍を釣る

アジカン主題歌のアニメです。

アジアン・カンフー・ジェネレーションですね。エイジアン・ダブ・ファウンデーションと間違えやすいので注意。僕はどっちも好きです。

舞台な京都。キャストは大学生たちです。京都いうロケーションと学生という浮ついた設定が、どこか物語をキュッと絞り上げるように抽象的にしています。

絵も塗り絵っていうか切り絵っていうか、あえてのっぺりとしたタッチにしてあるのね。グラデーションとかあんまりないの。濃淡も詰屈も立体感もあまりない。

そこがまた抽象的な紙芝居めいた雰囲気をかもしだしているんだけど、どこかね、一周回ってリアルな気も致しますのがこの作品のよいところです。

勢いと惰性にみちた学生時代の懐かしさが蘇る。愛おしいと思う。大学生になったことはないし京都に住んだこともないけれど、それはちゃんと大人になるためにちゃんと子供でいたことのある人には共通の懐かしさだろう。

いやいやいや。違うかも。

ちゃんと子供でいるってことは、大人になるとか、世の中のためになるとか、そういう目的めいたものをまるで考えたりせず、その時分の愚かな己の本分を尽くすってことだろう。

そして逆説的だけど、それが大人になるってことの条件なんじゃないだろか。

最近よく思うんだけさ。子供ってそれとして成立してんのよね。大人の予備軍でもなければ、大人への準備期間でもないわけよ。そんなことのために子供たちは生きてないわけ。

子供はいま子供でいることで完成してんだよね。それは30代が40代への助走でないのだったり、70代が80代の導入部でないのといっしょでさ。あらかじめ定められた未来のために存在する時間や年代ってないよね。

それがわかんないと幼くして死んだ子供を不幸だと思い定めてしまう。

親の気持ちとしては無理もないんだけれども、例えば8歳で死んだ女の子は8年という人生を完結させたのであって、大人になりたかったのになれなかった不幸な子供ではない。

それは8歳という年齢超えて生きてきた親の人生観の投影だ。

青春てのは、その場その場で完結してる自分をちょっとだけ大っぴらに掲げることに違いない。

四畳半は、主人公の「私」がいろんな並行世界での大学生活を送る物語だが、どれも格別にハチャメチャで面白い。そしてそれゆえにどれもが大差ないのだ。

それって青春時代の毎日が刺激的なくせに、なぜか画一的な日々を思い起こさせる。

人生なんてささいなきっかけでなにもかも変わってしまうし、それでいながら何を選択したって結局行き着くところに行き着く。

その証拠に、主人公がどのサークルに加入しても、そこには小津という悪魔のような男が存在していて「私」を苦しめるだろう。

ラストを観てみるとわかるが、ようするに小津的な部分は外部にあったのではなくて、あらかじめ「私」の内部にセッティングされていたのだった。なので、右に行こうと左に行こうと、北上しようと南下しようと、主人公は必ず小津に出会う笑

四畳半に閉じこもっていたって同じである。小津はあつかましくも押しかけてくるだろう。

繰り返すが、これは青春を描いた希有なストーリーだ。

失うものは失っていくし、逃れられないものからは逃れられない。そんな残酷な事実の一端の知り始めるのも青春だ。

わーわー言ってるうちに日は暮れてく。

ぎゃーぎゃー走り回ってるうちに夜は更けてく。

誰にだってインディアンの来襲を待ち受けるための四畳半の砦が必要だ。いつの日か砦は蹂躙され焼け落ちる運命なのだとしても、一度は無謀な戦いをしてみるべきなのだ!!!