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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

C/フィーチャー・イズ・マネー


たまーにありますが、途中経過でのレビューです。

最後まで鑑賞していない作品を評してレビューと言えませんが、それでも待ちきれない、口から出かかっている言葉があります。

アニメ「C」です。

これはとっても楽しめる、そしてためになるお金のストーリーです。

お金ってなんでしょうか? 

今日は作品そのものを離れてお金について考えてみたい。

作品内でそれはあるキャラクターは「力」だと言います。また別のキャラクターは「信用」だと説きます。

またそれは「現在」を支えるものだとされ、「未来」を保障するものだとも。

それらの思想の違いが、キャラクターの歩みを分け、また物語そのものの岐路にもわけですが、そもそも僕たちはお金を絶対の前提として生きるべきなのでしょうか。

「お金が全て」というメッセージが暴言のようでもあり真理のようでもあります。

主人公の少年は、安定した職について平凡な人生を送ることだけを目指して大学で勉強していますが、ある日、謎の金融街への招待状が届き、多額のマネーをやりとりするゲームに参加させられてしまいます。

このゲームというのは、アニメぽくバトルなんですが、そこよりむしろお金という魔力にとりつかれる人間とそうでない人間をコントラスト豊かに描いていてある意味不快なほど爽快です笑

しかし、物語も中盤を超えるとその明暗は崩れます。

お金を使っていた人間がお金に使われるようになっていきます。手段が目的に摩り替わり、際限のない地すべりを起こすのです。このアニメがリーマンショック後の世界について描かれていることも象徴的です。

あれ以降、マネーの絶対性はどこか揺らいでいるのではないでしょうか。

僕自身は、資本主義世界は悪だと思いません。ただ過渡的なものであると考えます。それは自由競争により技術や文明を猛スピードで発展させるのに必要なブースト期であるような気がする。

そこで得たスピードに乗って、今後は滑らかな推進期に入るべきだし、そうならざるを得ないでしょう。永遠にターボをかけ続けるのは不可能だから。それは環境と生態系に多大な負担をかけ続けるはず。

ただの交換手段であった「お金」がどうして魔力を生むのか。そこらへんは面白いし、恐ろしいし、またそれだけに経済学でも語りつくされていない部分かもしれません。

金融マフィアとか、ユダヤ陰謀論とか、いろいろいかがわしい話もありますが、いまはそれを脇に置いてみたい。

お金は絶対なのか、また別種のお金は存在を許されないのか?


続・エンデの遺言

(最近動画をそのまま埋め込めなくなってんだよね。なんでだろ?)

有名な動画ですが、果てしない物語の作者ミヒャエル・エンデがお金について考えていた内容がそのヒントを与えてくれます。続編は僕も知らなかったので観てみます!

ここにある地域通貨は面白いアイデアです。スイスやドイツではかなり広まっているそうです。日本でもブームとなりましたが、いまいち定着しないようです。どこに原因があるでしょうか?

面白そうなことはすぐにやってみたくなるタイプの僕も、ワッカというコミュニティ通貨を実験的に作って仲間たちとやり取りしています。お互いのスキルや知識を共有できる非常に優れたアイデアだと使っていた思います。

誰も(金銭的には)得しないからこそ、みんなに益があるという意味で理想的です。が、人間の欲望を刺激しないという意味では致命的かもしれません。

なぜなら、自ら成長し増殖するお金という生き物につきまとうスリルと戦慄がそこにはないから。人生のアップダウンが平坦になってしまう。

村上龍の「希望の国のエグゾダス」でも電子化された地域通貨が汎用化された北海道が描かれますが、やはり結末には微妙な疑問符が投げかけられています。

どのようなスタンスを取るかは別として、お金というものはこの世界のデザインを決めるもっとも大きな要素のひとつでしょう。

たまにはマジになって(稼ぎ方をではなく)考えてみるのもいいかもしれません。