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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

COMPLIANCE | コンプライアンス -服従の心理-

それはファーストフード店にかかる一本の電話からはじまります。

いいえ、物語の序章として、冷蔵庫の閉め忘れや、ヴェッキーの恋多さ、店長サンドラの婚約者などある程度の情報がなにげなく店内の様子として開示されます。

でも、本当の物語はその一本の電話が、警察を装った謎の男の権威を帯びた声によってはじまります。

電話の男は、あろうことか、ヴェッキーに金を盗まれたという被害届が出ている、それも店内で勤務中に!!!と言い募り、その模様は張り込み捜査官も確認済みだと言う。

まさかっ

の展開ですが、これがいかにも警察らしい有無を言わさぬ話術と巧みな飴とムチでなされるので、結局みんな騙されてしまったのです。

とくに店長のサンドラは、本店の責任者にも協力は取り付けてあるという男の言葉にコロリと騙されてしまいます。

ここで組織の中に深く位置する人間が真っ先に洗脳されてしまうのです。バイトのケヴィンなんかは電話のうさんくささをかぎつけています。

権力と集団の論理の中にさらされている人間は、こういった時に弱いらしいのです。自分の頭で考えるということを放棄しがちになってしまいます。

男は卑劣な性的愉快犯です。本当に唾棄すべき最低の人間ですが、話術と人をコントロールするための心理だけには長けているようです。

この先、「検査」という名のもとに、疑いをかけられたヴェッキーは服を脱がされ、サンドラの婚約者にお尻まで叩かれてしまうのだし、映像として映っていなかったけれど、もっとひどいこともさせられてしまう。

たぶん、犯人は電話一本で思春期の少女の心をズタズタにし、スタッフたちの人間関係を修復不可能までに痛めつけることに全能感を感じているのだろう。タチの悪いイタズラにもほどがある。

それにしても、権威の名のもとに下された命令になぜに人は弱いのか。

まるで嵐が過ぎるのを待つように逆らうこともしなければ疑問を投げかけることもしないのだ。

「法」の命令はどこか見たこともないピラミッドの頂点から発せられた下層民へのメッセージであり、そうである限り逆らうことなど思いもよらない。のかもしれません。

それだけが頂点と底辺に位置する自分とをつなぐ何かである。それに従順にあり、服従することがこのピラミッド世界の成員であることの証明なのかもしれません。拒絶してしまったら、自分は社会の外側にいることになる?

きっとそうなんでしょう。僕も集団の論理に流されがちな人間です。ヴェッキーの服をためらいながらも脱がしてしまった店長サンドラを憎むことができません。

COMPLIANCEとは「1(要求・命令などに)応じること,応諾 追従 迎合性」だそうです。

僕には、究極的なところで人間に自由意志があるのかないのかわかりません。強力な見えざる力に動かされているだけのような気もします。他者だけでなく「自己」という手のつけられない暴君からもとんでもない命令が下される。

どのみち命令に従うにしても、どの命令がより「厳然」であるかでなく、「純粋」で「神聖」なものなのか、それくらいは見極められるようになりたいものです。

そしてこの映画の難しいところは、ヴェッキーが服を脱いだり、無法な命令に従ったりするさまがやはりエロチックなところです。男であれば、女性の裸に感応しないわけにはいきません。でもそうすると、犯人の卑劣さを共有してしまうというジレンマが生じます。

ヴェッキーの裸体に眼を奪われたとき、あなたは自分も共犯者になってしまっていることに気付く。この愚行が終わればいいと思いつつも、これは所詮「映画」なのだからもう一歩エスカレートしてほしいと願う自分もいたりする。

この理性と劣情との挟み撃ち、意志と打算との板ばさみ、これが厄介なんだよね。

そのダブルバインドに耐えかねて人は服従へと逃れるのかもしれません。卑劣な映画だぜ!