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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

死亡説・生存説

まとこしやかに囁かれる噂の類。

都市伝説もあれば、心無き流言飛語もあります。中でも人の生死に関わるものは滑稽でいながらどこか切なる願いといったものを感じさせてくれます。

時代のカリスマや教祖、独裁者など、大衆の心を掴んだ人物はどこかで生死の境を越えてしまうらしいですね。偶像であることはすでに死んでいることだし、また永遠に死なないことでもあるんでしょう。

金正日も何度も死亡説が囁かれましたね、すでに死んでいる。国内を視察しているのは影武者なのだというような……

しかし、とうとう本体(?)が死んだとき、それはわりとあっさりと報道されたものでした。少なくとも僕という一個人の胸のうちにはどこかあっけない幕切れとして届いてきたのでした。

そんなもんでしょうか。

高齢のカリスマには常に死亡説が付きまといます。側近はその死を隠し続け、隠然たる影響力を手中にキープし続けているのだと。

このご時勢、ひとりの人間の、それも大衆に知られたイコンの死を隠し続けられるとは思いませんが、それでもいつも「実はもう死んでるってよ」という声は止みません。

またもう死んでいる人の生存説ってのもあって、エルヴィス・プレスリーとかね、最近でもマイケル・ジャクソンなんかもそうだよね。ファンたちの願望がそんなありえない噂を生み出すのかもしれません。

群馬県高崎のさびれたバーでエルヴィスを見た。

北海道のクマ牧場でマイケルがクマと腕相撲していた。しかもマイケルが勝った。

などなど。

歴史上の人物も自らの定められた寿命を超えても架空の人生を続行させられます。

チンギス・ハーンになったという源義経や、

天海僧正として、徳川の治世に助力したという明智光秀

ここには特権的なカリスマが生死のくびきを逃れてさらなる天地に漕ぎ出すという再生の物語があるような気がします。

ロマンがありますね。

ちなみに僕は死亡説が流れたことはないですが、高校生の頃ライブハウスで刺されたというデマが広まったことがあります。いまでも謎です。

そういうタイプに見えたのでしょうか。久しぶりに会った友達に「刺されたらしいな」と真顔で言われゾッとしました笑

また以前サンフランシスコの日本雑貨屋で現地に住んでいる日本人の老女に「あなたもう死んでるわよね」と言われたことがあります。

長い海外生活の孤独に気が触れてしまったのでしょうか。どこか視点の定まらない目付きをしていました。

それにしても、海外で久しぶりの日本語でいきなり話しかけられて「死んでるよ」と言われるとホントにそんな気になってしまいます。ああ、おれはもう死んでいるんだ、と。

もちろん世界にはホントに不死身なんじゃねーの、というような人たちもいます。

サンジェルマン伯爵とか錬金術師フルカネルリとかね。

ありえない、と一笑に付すこともできるでしょうけど、僕は「もしかしたら」派です。シャイクスピアも「この天地のあいだには、人間の学問などの夢にも思いおよばぬことが、いくらでもあるのだ」と言ってましたしね。

生きてるのに死んでいる。死んでるのに生きている。生死は明滅するフラッシュのようです。

これを読んでいるみなさんももしかしたらどこかで死亡説が流れているかもしれません。いや、あなたのことを知らない人にとっては、死ぬも何も、もともと生きてさえいないのかもしれません。

自分や誰かが生きているということは信仰に属することなのかもしれません。

いや、ちゃんと心臓も動いてるし呼吸だってしてるぞ! という熱弁を振るうこともできますが、それにしたってちょっとした思い過ごしだってことだってあるかも。ですよね?