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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

R・I・P

昨日、武術の話題を書いたばかりです。伝統の弊害とともにその必要性も述べたつもりです。

そういった意味で少しタイムリーなのですが、悲しいニュースが飛び込んできました。

$続・エビで龍を釣る

日本における中国拳法のパイオニアであられた松田隆智師が昨日心不全で死去されました。75歳だったそうです。

心よりの哀悼を捧げたいと思います。

この世界ではもはやいまさら語ることもないほどの方であります。その多大な功績は、彼がいなければ日本の中国拳法の光景はまるで一変していたといっていいほどのものでしょう。

昨日の記事の続きで言えば、伝統という閉ざされた岩盤に独り飛び込んでガリガリとドリルで穴を空け、皆が通れるようなトンネルを掘り抜いたといったもいいでしょう。

少年サンデー連載の『拳児』は、数々の八極拳フリークを生み出しました。

人気漫画の原作者として松田師、あるいは遡って『謎の拳法を求めて』では、持ち前の好奇心で日本と中国の武術をバイタリティー豊かに探索していました。

またポンキッキでカンフーを広く身近なものにしてくれました。

僕にとっては、著者としての師の、少年のような探求心が心に焼きついています。

なぜ、武術という閉鎖的な世界に、飛び込みの外国人が教えを受けることができたのか。台湾や中国は歴史的に見ても日本と複雑な関係にあります。失礼ですが、当時、素性さだかならぬ若き日本人が、武門の長たちから信頼を得るのは並大抵のことではなかったはずです。

他の弟子たちからの妬みややっかみもあったに違いありません。

たぶんそれを可能にしたのは、一重に師の純粋さ、まごうことなき武術への情熱によるものであることは疑うべくもありません。

師の足跡から僕らは信じることができます。

武術への想いは、複雑な国際事情を超え、民族の垣根を越え、また伝統の壁も超えうると。

もちろんそれは武術だけではないでしょう。音楽であれ、ダンスであれ、料理であれ、なんであれ、それを本当に愛し求めるという一念の前では、多くの障壁などものの数ではないと。

昨日、行きつけのお店で話していたのですが、そのマスターが旅先のクラブで出会った韓国人のセリフを言っていました。

「おれのじいちゃんは確かに日本人を恨んでいる。オヤジやオフクロも嫌っている。でもな、おれたちにとっては過去のことだ。

ほら、いまここで同じ音楽を聴いているし、それを愛してもいる。それにこの広い世界で、広いアジアで、おれたちは同じ箸という道具で飯を食う人種じゃないか? 

チョップスティックで生きる糧を取り込むおれたちが、なぜいがみ合う必要がある? こいつは憎むべき敵の目玉を突き刺す武器じゃないだろう?」

そういうことなんだ。そして武術とは、相手を害し果てには殺してしまうような闘争の表現ですら友好の手段に変えてしまう、ひとつの可能性だ。

そういうことだ。だからありがとう。武術があるから、僕は、僕の知っているよりもっと外の世界の誰かと仲良くできる。

生前、実際にお会いできなかったのは残念ですが、系譜的には、僕の師匠の師匠にあたる方であり、その足跡がなければ、僕の人生もまた別のものになっていたといっても過言ではないでしょう。

あらためて、現在を生きるというのは、先人の引いたガイドラインあっての営みなのだと気付かせてくれます。

生涯、相まみえることの叶わなかった不徳な曾孫弟子ではありますが、限りない感謝を込めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。