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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

汝は人狼なりや

最近ちょっと流行しているそうですね。人狼ゲーム。

僕は数年前に知り、「タブラの狼」というカードで遊んでいました。旅先で仲間と、または職場の学校でレクレーションとして。

人の心理を探り合う、すっごく秀逸なゲームですよね。細かい内容は説明しませんが、ようするに村の中に紛れた狼男を探し出して殺すというもの。

狼男側は、村人を自分たちと同じ数だけ殺したら勝利となります。

テレビでもやってるのでけっこう認知度は高まっているんじゃないでしょうか。

僕はこれをウィンクキラーと並んで2大サイコサスペンスゲームと位置づけています。誰が犯人なのか敵なのか?

ドキドキしますね。いままで友達だったやつが、にわかに邪悪な狼に、人ならぬ恐ろしい存在に見えてくるから不思議です。人間の皮かぶってやがったな! 絶対に許さん! 

吊るせ! 吊るせ! 吊るせ! のコールが始まります。

んで、リンチにかけてみたところ、ただの村人だった、なんてのはよくある話。ゲームなら笑い話で済みますが、実際にそんなことがあったらシャレにならん。

が、しかーし! シャレにならんことの連続が人の歴史。

中世の魔女狩りなんてのはその典型だよね。動物に好かれていたり、薬草に詳しかったりしただけの女性が「魔女」との烙印を押されて殺されてきた。こわいわ。

オレなんか毎晩ベランダで自作の詩をラップしながらフラメンコを踊っているから、あっという間に魔女裁判にかけられちゃうだろう。女じゃねえけど。

昭和生まれでよかったです。中世であれば、ちょっと天然なだけでもヤバいかもね。

そんなシャレにならない人間の恐れが生み出す狂気!!! 

そいつを追体験させてくれるのが、この人狼ゲームなのだ!!!!(←言いすぎ)

でもま、ちょっぴり真剣な話、イジメの構造なんてこんなもんかもしれません。特別な理由もなく狼だの魔女だのが決められてイジメられるじゃん? んで、ある日イジメっこはささいな理由でイジメられっこになってた、なんてのはよくある話。

これは「狼」の選定がランダムなのと似ている。狼=イジメられっこになるのは、カードの采配次第なんだ。ほとんどのイジメられっこは狼のように牙を剥いて復讐に転じることはないのが違うだけれど、なにかずっしりした真理をこのゲームをやってると感じるね~!

そしてよく話すのだけれど、現代における「呪い」ってのは、誰かを個人的に害するために白装束で人形に釘を打ち付けることじゃない。

「汝は人狼なりや」という疑いを集団に広め、共有することだ。

その疑いは一人歩きし、ある一定の数にシェアされた瞬間、リアリティを帯びる。そのリアリティのもとでは、狼ではないただの人間まで狼に変貌してしまうのだ。

ありもしないことをまるであるかのように現出させること。それがネットや無責任なマスコミの情報に覆われた現代の呪いだ。

誰がが「穢れて」いるとか、あいつが「よこしま」だとか。そんな言葉が仮想の現実を生み出す。

バイキンを保有した誰かから我が身をバリアしあう子供たちのゲームも覚えているだろうか。

バイキンをなすりつけあううちに、ゲームを終えても、信じやすい純粋な(ちょっとおバカな?)子供はバイキンの存在を忘れられない。

最後にバイキンを保有していた友達をけがわらしいと避けるようになる。

子供の愚かさと笑うなかれ、同じ愚かさに大人だってじゅうぶんに、いやそれ以上に染まっている。

それが呪いかな。だから「汝は人狼なりや」という問いを反転させる必要がある。

「我は人狼なりや?」と。

他人の邪悪さをあげつらうその前に、自己を吟味し、その邪悪さ、貪婪さを抉り出さなきゃいけない。人狼はすぐ近くにいる。

いや、汝は? 汝は? 汝は? と正義を振りかざして迫るその人の内には人狼よりももっとタチの悪いものが潜んでいるに違いない。