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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

レンズの倍率 悲劇か喜劇か?

$続・エビで龍を釣る

こんにちは佐伯祐三です。

昨日まで僕のことは知らなかったって?

ごめんなさい。知りませんでした。でも、大丈夫、もうちょっとだけ知ったから。

若くして死んでしまった画家、パリに渡り、その地で精神の病を患い、最後は入院中の食事を拒絶し衰弱死したという。そんな画家です。

アーティストにありがちな悲劇をここから読み取るのは勝手だが、彼の絵そのものにそんな陰影を読み取るべきかどうか。僕にはわからない。

$続・エビで龍を釣る

「サンタンヌ教会」

昨日三重県立美術館で観た彼の絵の一枚であります。

後輩がこの絵を観たいというので高速道路を西へひた走り、行ったこともない三重は津市に向かったのだった。

この後輩がまた繊細で複雑な生い立ちなのです。そんな彼が最近絵筆を取ったから、さあ大変。佐伯さんのような境遇の画家に共鳴するのももっともな話。

僕のような根っから能天気でトラウマのトの字もない輩には、おいそれと割り込めない対峙なのでした。

ちゅうわけで、僕は、三重県立美術館で三沢厚彦さんという人の動物をモチーフにした作品やらちょっと気になっていたジャコメッティリトグラフやらを観てほくほくでした。

$続・エビで龍を釣る

こんなん↑

かなりでかいので笑えるのだ。リアルな動物というより、人間の思惟のうちに擬人化されつつある動物といったほうがいいのでしょうか。ユニコーンやペガサスなど架空の動物もありました。

そして昨日はよく蝙蝠が出てくる日だったな。もちろんこの作品展の中にも出てきたし、よくバッドマンシールも見かけた。あと今朝の夢では蛇をたくさん見たよ。動物の世界に引き込まれてしまったんだろうか。

人間界に戻りたい。

さて、一方後輩くんと佐伯画伯の対峙は、実りあるものとなったようだ。彼が悲劇に見える佐伯さんの画風の奥に、生き生きとしたバイタリティと絵にかけるピュアな想いをすくい上げてくれるといいと思う。

どんなに陰惨に暗く見えるアートの中にも、それを封じ込めず、ひろく世に問うというのなら、そのこと自体に自分に対しても世間に大してもどこかしらの「信頼」が残っているはずだ。

本当に絶望はしていない。だから描いた。「絶望」を絵や文章にするのだとよく言うが、本当に望みが絶えた状態で人間は絵筆を取ったり、ペンを振るったりするだろうか。

昨日ふと思いついたのだが、悲劇、喜劇というのは、距離感の問題じゃないだろうか。

ある状況にあまりにも深く放り込まれて距離が保てないのなら、それは悲劇となる。同じシュチュエーションでもある距離を持ってそれを眺めることができれば喜劇と見なすことができる。

ホームレス中学生なんかさ、どこからどうみたって「悲劇」なんだけど、お笑いタレントがすべらない話として語ったことで「喜劇」になったんだよね。

それは距離感を、自分を突き放して笑いに変えるという少し遠い視点を持てたからだと思う。

佐伯祐三さんは、死を選ぶほどに何か対象たるものに近づいてしまったかもしれない。そうでないと見えないものがあると信じたんだろう。

でも、引いてみなければわからないこともあるし、できれば寄ったり引いたり、世界を見るレンズの倍率を変えていくべきだったんだ。

サヴァイバルってのは、学歴や資格を備えていることではないし、野外でマッチもなく火を起こせるとか、生ものを食べてもお腹を壊さない丈夫さでもない。

視界が悲劇に染まりそうになったら、即座にレンズの倍率を変えられること。レンズの倍率がうまく変えられなくなること、それだけが唯一の「悲劇」なんじゃないでしょーか。