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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

絶園のテンペスト/世界は脱臼。ぼくらは骨接ぎのお医者さん

「世界の間接が外れてしまった。ああなんという因果か。それをなおすために生まれついたとは」

ハムレットの有名なセリフですね。きゃーかっこいい。こんなセリフを日常で適時引用できるインテリになりたいものです。

しかし、マジでやったらサムいのもこの手のひけらかしであります。漫画やアニメ、小説の中であればキマるのですが、現実ではちと苦しい。

特攻の拓という素敵なヤンキー漫画で天羽・セロニアス・時貞くんが、しょっちゅうぶっ飛んだ眼で宮沢賢治の詩を呟いていましたが、あれもよかったです。

宮沢賢治の詩の素晴らしさに目覚めたのは確かにあの漫画だったかもしれません。春と修羅とかね。

が、間接がパカパカに外れてしまった世界では美男子がこういった引用をかますのも許されるのですし、それを受けて「またハムレットか、やめてくれよ、あれは悲劇だ」なんて返すこともできるのです。

ええ、申し送れましたが、これは『絶園のテンペスト』というアニメです。

あらすじはといいますと、シェイクスピアテンペスト(あらし)にちなんで、絶海の孤島にひとり魔法使いが閉じ込められるというやつなんですな。

この魔法使い、樽に詰め込まれて島流しに合うのです。まず、この魔法使いの島からの脱出までが、三幕構成であれば一幕目といったところでしょうか。

この物語の背景には、はじまりの樹と絶園の樹というふたつの2大原理があります。魔法使いははじまりの樹の力の加護を受けたはじまりの姫宮なのです。

であるなら、絶園の樹の申し子も登場するのですが、これはその二つの原理が対決するという天下分け目の大戦の話ではございません。

もう少し複雑なんだね。はじまりの樹という絶対だと思われたものが、そうではないと暴かれたとき、それが正義でも全能の神でもないと判明したとき、物語は、さらに大きな摂理を呼び込むでしょう。

それは物語の中で前景化しないのですけれど、二項対立が破れたとき、大いなる「一」が、あるいは「全」であるべきものが意識されます。

はじまりの樹や絶園の樹のように、選ばれた誰かの思惑に従うような力ではない。それはすべてのキャラと通じてハッピーエンドへと、いや必要であれば、さらに「終わり」のその先まで誘う力です。

なかなか面白い作品でした。苦労人シモンが健気であります。必見!