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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

「セット」じゃない!「ペア」でもない!

セットで語られるものの中には、それほど融和的じゃないものもある。

むしろ場合によっては排他し合うというものもある。よくスローガン的に語られる「自由」と「平等」もいつだって血みどろの争いを繰り広げている。

アメリカの共和党と民主党はまさしく「自由」と「平等」との陣営にそれぞれ別れてせめぎ合っているのだし、古代ギリシャはポリスの時代からこの手の確執はあったが、わりとそれは看過されがちなのね。

愛と平和とか

真・善・美とか。

それらはペア、あるいはトリニティを仲良く形成するかは怪しいものです。

愛は平和をかき乱すもの。真は善悪を超え、善は必ずしも美ならず、美は時によっては真とは程遠い虚飾に堕するものでしょう。

お互いがバランスよく折り合いをつけたとたん、それぞれが凡庸で平均的になってしまう。そんなこともありそうです。

耳ざわりのいいスローガンに騙されないようにしたいものです。

たとえば、お坊さんの法話を聞いて、心が慰められたり、人生が豊かになったと感じることは悪いことではないでしょう。

でも生ぬるく薄めたものであれば、それでいいのですが、仏教の本質はこの輪廻から脱するためのものですから、サヴァイバルのための処世術ではないし、つまり人生の豊かさとは相容れません。本当は。

人生を徹底的に虚しくし、完全に見切りをつけるためのものだから。

つまりこの観点からは「解放」と「人生の豊かさ」は両立しないのです。ここでもありそうで実はありえないペアが暴露されます。

よく中国の皇帝がインテリぶって仏教に凝っちゃってさ、国をあげて護教キャンペーンを繰り広げても、代が変わるとすぐに廃仏政策が取られたりするよね。

それってなんでかって言ったら、国家経営と仏教は真っ向から対立するからなんだよね。だって欲を絶ってガチでみんな坊さんになったら、妻帯者が減って少子化するし、不殺生なんて言ってたら国防は成り立たない。

ということで、だいたいよい加減のところで朱子学とか陽明学に巻き返されるってのがパターンなんだけど、そこらへんの歴史の機微は置いといて、逆に相反する対立項と思われたものが、実はけっこう親和的だったり、通底してたりってのもよくある話。

「理想」と「現実」とかね笑

あれって、だいたいどちらを選ぶかって話になるじゃん。でも、片方を捨てたらもう一方も色褪せるって関係なんだよね。相互補完的っちゅうかさ。

理想は現実を生き抜くためのツールでもあるし、現実は理想を打ち上げるための発射台だから。

理想と現実はほど遠いなんてため息ついてるけど、それが近すぎてひとつになっちゃったら、理想と現実の区別がつかなくなって、むしろ両者ともを失ってしまう。だから、それを人為的に引き離しておくのが人間じゃん?

面白いよね。哀しいよね。ざまあねえよね。

かくいう僕も遠大な理想と卑小な現実との落差に苦しんでおります。そこにある無限のグラデーションが美しいといえば美しいのですが、まあ、日々の浮き沈みに追われてそんなんを愛でてる余裕は御座いません。