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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

超越したの?

特定秘密保護法案可決されてしまいましたね。

今回の騒動を見ていて、反対賛成両派の意見を見聞きしてかなり勉強になりました。おおまかな意見は変わりませんが、賛成派の方からも新たな視点を得られました。感謝です。

こういうのは結構デリケートな問題なのでしょうか。

自分がどちらの組みしているのか、そこらへんをボヤかす人もいます。本当に興味がなかったり、どちらともつかないのならいいのですが、両者を超越したような視点からこの問題を語る人もいます。

いわゆるメタレベルに立つということでしょうか。反対派も賛成派もこういう瑣末な部分で火花を散らしているのだと分析し、自分だけが高みにいるような語り方をしている人を見かけます。

「どっちも可愛いのぉ~!」みたいな。つまりスカして大人ぶってんだよね。

そういう態度に出るほうがより知性的だと思っているのでしょうが、僕はあえて愚直に意見や思想をぶつけあったほうが健康的だし、建設的だと信じています。白でも黒ともつかない、かといってグレーでもない無色透明なエリアに住まっていることで傷つかないでいることは可能でしょうが、それならはじめから口を閉ざしていろ、と言いたくなります。

いや、それでも口は開いたほうがいいか。それはそういうある種の立場の表明なのだから。

ただ、僕個人としては、自分と正反対であっても、過誤を犯すリスクを取って、長期的なスパンから見たら愚行となるかもしれない志を、それでも述べる勇気を持っている人のほうが好きです。

傷つかない立場でスマートに振舞われるよりは、いっそ「売国奴め!」とばっさり切られるほうが気持ちがいいものです。

もしかしたらどこぞの深山幽谷には、浮世を超越した仙人とか聖者が住んでいて、すべての相対性を超越しているかもしれませんが、そうなるまではなんとかこの世のしがらみをくぐり抜けて夜露を凌いで生きていかねばなりません。

政治も経済も無縁だとタカをくくっていることはできません。

僕の好きなインドの聖典『バガヴァッドギーター』には、世の愚かさを噛み締めつつも、それでも果敢に濁世のしがらみにコミットする英雄アルジュナが描かれています。

神の化身クリシュナはアルジュナにこういったことを言います。

「勝者の栄光も、敗者の悲嘆も、わたしが引き受ける。だからおまえは戦うのだ」

うろおぼえで正確ではないけれど。これは、肉親たちの戦争に巻き込まれ、骨肉相食む愚行を犯すことを恐れたアルジュナを鼓舞する場面です。

あなたが参加しても参加しなくても、世界は勝手に変転していくのである。

であるならば、みずからの本分を尽くせ。信じる道を行け。それがとてつもない過ちであっても、偽りのないあなたの魂の底の部分がそれを為せと命ずるなら、そこへ赴き、為すべきことを為すのだ、と。