読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

クロニクル/頂点捕食者の観察日記

ずぅーーーーーーと観たいと思ってたクロニクル。

劇場公開が延長され、名古屋でも公開されたにも関わらず行けずにいたのは、わたしの怠慢でした。他にも理由があるのだがそれはのちに。

好みの超能力もの。しかし、なんというか、身の丈サイズで、高校生が分不相応なチカラを得てしまったらするであろうことを丹念になぞり、いままでにないリアリティを生み出しました。

分不相応な大金を手に入れたティーンのしでかしがちなバカな振る舞い、のようにこれは描かれる。そこが牧歌的でいいのです。

AKIRAは童夢など大友克洋の作品群から想を取っていることは明白なのだが、なによりも鉄雄の転生ともいうべきアンドリューの鬱屈と孤独が素晴らしい。それゆえの暴走、そして狂気!

コンプレックスが裏返ったとき、映す側から映される側に回ったとき、彼は力に飲み込まれたのだった。そう、映す側というのは、この映画が終始、物語の中に実在するカメラでの映像だけで成立している特殊な作品だからだ。

アンドリューのカメラ、ケイシーのカメラ、テレビの中継、防犯カメラの映像、スマホのムーヴィーなど、この世界にあるすべての映像記録媒体のデータだけでひとつの映画を作った(という体)である。

だからこその臨場感と迫真性、そして切なくなるような、身を切るような卑近さがある。

んで、この手持ちカメラっぽい映像(ファウンドフッテージつうの?)が僕を映画館から遠ざけたものでもある。ぶっちゃけ、画面がグラグラすると酔うのです泣

だから、そーいう手法をさ、単に目先のかっこよさだけでチョイスしないで欲しいのだが、この映画はまさに必要あってのものとしてそれを採用しており、また幸運にも、我が家のPC画面での上映では、わたしの三半規管に失調を来たさなかったのである。

ラッキー!

そう、この世界が大きな映像(そして音声も)記録媒体となってしまった現代の、これはまさにクロニクルなのです。

(これ以下ネタバレ注意↓)

超能力を得た三人のうち、なぜひとりだけが生き残ることになるのか。そこが、皮肉にも、滅んでしまったアンドリューの論法でいけば、ある種の選別から漏れたのかもしれません。

精神性を象徴する内向的なアンドリューと世俗を代表たるリーダーシップと社交性を備えたスティーブ。スティーブが政治家志望というのもわかりやすい。

本質に潜行せんとするアンドリューと、表層的に哲学者の言葉を引用し、女の気をひくために慈善のための寄付を差し出すマット。

アンドリューを中心にして、スティーブ、マットとそれぞれ対が形成されるのも面白い。

アンドリュー、スティーブのペアは、高空において生死のやり取りをする。二度も。アンドリューは一度スティーブを救い、次には正反対の行為をもたらす。

また、アンドリューとマットのペアは、スペースニードルというシアトルのシンボルにおいて二度対峙する。一度は築く者と壊す者としてレゴブロックのタワーを挟んで向き合う。そして二度目は築く者が壊すもとして立ち現れる。そして今度はレゴではなく本物のスペースニードルを前にして。

この対象性は狙ったものであれ、そうでないにしろ、分析するに値する。

そして、最後に、数々の痛みと煩悶を超えて、たったひとり力とその責任に目覚めた少年が残る。

それはもうこれまでのように表層的な論理や美学をこねくり回したりしない実存的な男であり、またヒーローであることのバカらしさ虚しさをすでに気付いているヒーローでもある。

それが誰であるかは観て確かめてほしい。このクロニクル(記録)は彼の手によるものなのだろう。