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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

ゼロ・グラビティ/三界彷徨

ロッド&リールの巻(レビュー)

成田の映画館で観た『ゼロ・グラビティ』です。

宇宙パニック&サヴァイバルものです。もちろん見所はタイトル通り「無重力」の世界。

0Gだね。僕らが地上を闊歩しているとき自重が60kgなら60kg分の重みを背負うというのが1Gの状態。

レーシングカーのコーナリングで3Gの加重を受けるとした場合、60kgの人なら180kgの圧力を受けるというのが3Gである。普通の掛け算だから不思議はない。ただし0Gの場合だけ話は変わってくる。

どんな体重の人であっても、0Gの世界では体重が消えてしまうのである。当たり前か。当たり前のことがそれほど自明でもなければ、ちゃんとわかっているわけでもないのが僕らの毎日じゃないでしょうか。

宇宙空間では物は落ちない。ふわふわ浮いている。このビジュアル的な面白さはまだまだ表層的なものだ。一番の特徴はブレーキがないということだ。つまり、地上では自然にどんな運動も重力に引かれてやがて減速し、とうとう停止する。

が、宇宙はそうはいかない。いったん動き出したらどこまでも運動は続いていくのだ。空気もないわけだから摩擦も抵抗もない。だから、いったん射出されたものは、ワイヤーやケーブルで結んでおかなければ、宇宙の果てまで放り出される。

このあたりの感じが、これほどうまく表現された映画はない。何もかもが止まらないのだ。ノンストップで世界は雪崩れをうって連鎖し、ピタゴラスイッチもかくやというほど機械的かつ冷徹に運動は継続していく。

これがけっこう怖いのだ。宇宙的な悪意、いや、悪意も存在しない、ただの物理のありようしかない、それが悪意ならぬ悪意としてヒロインを追い詰めるのだ。

さて、遅れたが、あらすじはこうだ。

ハッブルか何か宇宙望遠鏡のメンテナンスに従事する宇宙飛行士たち、彼らを宇宙ゴミが襲う。壊滅的な打撃を受けるのだが、生き残った人メンバーはなんとか自力で地球生還を目指すのである。

(ここからネタバレあり)

ラストまで観て、非常に面白かったのは、ヒロインが宇宙・地上だけでなく、中間地帯として水中を潜り抜けるところである。最後に地上に生還したライアンが大地に立ち上がるシーンは赤ん坊が重力と折り合いをつけて立つ場面としてある。また水から地上に進出した魚たちがはじめて充ちわたる大気を浴びるような鮮烈さもある。

だから、この映画は生物の進化や成長をどこかでたどりなおしているような面がある。

水から大地へ、そして宇宙へ。というルート。しかし、それはある意味円環的でもある。宇宙からまた水の浮力と抵抗の中へ、そして大地へと。進化とは、あるフィールドへ進出することではなく、三界を巡りながら、未知なる精神の新たな発出を待つことではないだろうか。

だから地上から海へ戻った鯨やイルカたち水棲哺乳類たちは退化したわけではない。

宇宙から地上へもどったライアンもそうだ。そして、また彼女は「宇宙なんて大キライ」と言いつつもまたあの虚空へ戻っていくような気がする。

彼女を救ったお喋りな宇宙飛行士が言ったように、そこから観る光景はあまりに美しかったのだから。

いつか生命たちはこの物理的な宇宙すら超えて行くのかもしれない、そのとき、そんな存在が生命と呼ぶに相応しいかどうかはわからないが。