読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

許す力――カンタティモール

先週観た『アクト・オブ・キリング』に続き、インドネシア絡みのものです。

なぜか最近戦争や虐殺拷問といったネガティブなものに触れる機会が多いです。

今回は自主上映会で行きつけのお店のビルで6Fで上映された『カンタ・ティモール』という映画。

東ティモールという国を踏みにじったインドネシア軍からの独立を果たすまでに受けた辛酸とそれに耐え抜いた人間たちが描かれています。

彼らを包む自然の素晴らしさも。

まず、この東ティモールの惨状が中々国際社会のメディアに乗らず、インドネシア軍の暴虐に気付くことが遅れたことが悲劇をより深刻にしました。

日本人もまたこの悲劇に無縁ではありません。

というより、アメリカやオーストラリアに並んで、このインドネシア軍に資金援助していたのが日本なのです。それも石油や天然ガスの利権を得るためです。

知らなかった。

僕らがのほほーんと繁栄を享受した裏側で、とんでもない悲劇が起ってる。それはもちろん過去のことではなく、いま現在もそうなのかもしれません。

なんとも複雑な気持ちに……東ティモールの独立を国連が支持したときにも、日本は反対したのでした。

作中ではうろ覚えですがセリフが呟かれます。

「支配層が頭の中の欲を追うことでどこかで人が死んでいる」

必ずしも必要でない贅沢や快楽を得るために、何かを犠牲にしている。知らず知らずのうちに。

というか、そんな構造は巧妙に隠されているものだし、同時に見えていながら気付かないふりをしているものでもある。

日本人を恨んでもおかしくないティモールの人たちが、日本人であるこの映画監督にむき出しの敵意を向けないことがすでに奇跡だと思った。少なくともカメラの中で彼らは笑顔を向けてくれている。

なんという許す力だろう。

インドネシア軍に歯向かったティモールのゲリラたちは、敵を捕えても拷問したり殺したりしなかったという。自分たちが戦う理由を語り聞かせたのち解放したのだった。

家族や隣人を殺しレイプした相手に報復をしなかった。僕らは自分らを進諸国と誇っちゃいるけれど、彼らの精神性にどこまで届いているだろうか。

たとえば彼らの言語には伯母叔母にあたる言葉ない。それは言語の貧困ではない。

彼らにとって、母の姉妹たちは全部「母」と呼ぶし、本当に母たちは姉妹の子たちを皆わが子のように扱うのだそうだ。

そして何より、彼らには島の神々と大地の力であるルリックが寄り添っていた。苦境にある時ほどその神秘を感じたという。

時にその神秘の力は、シャーマンの手を通じて負傷を癒し、ダンスや歌曲を通じて強靭を心をもたらした。

それは遅れや原始性じゃない。先進国にはびこる似非スピリチュアルや愚にもつかない心霊主義とは違って、ほんとうに人を鼓舞し慰めるものだ。

彼らの許しの力もまた、その大地の豊穣さと無縁ではないだろう。