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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

ハラスメント紛争

ネットのニュースで声が小さい人に「もっと大きな声で」と要求するのは声ハラだそうだ。

そーだね。声がもともと小さい人もいて、大きい声を出すのが苦痛だったりする。民族レベルでも声の大きさというのは違いがある。中国人の平均音量は日本人の2倍くらいあると感じるのは僕だけではないはず。

あまり耳のよくない僕にとってはこの「声ハラ」があまり定着すると危険かもしれない。学校の講師をしている手前、生徒の発言を求める必要があり、あまり声が小さいと何度も聞きなおすはめになるかもだ。

僕の耳の悪さはこちらの都合なので、クラスのはじめに一応そのあたりを説明し、できるだけ大きな声で発言して貰うようにお願いしているのだけれど、やっぱりどうしても大きな声が出せない人がいる。

そんなときは、他の生徒が聴取して大きな声で代弁してくれるので助かっている。でもね、やっぱりそういうやり取りは双方にとって難儀なもの。

できる限りなくしたいんだけど、どちらにも悪意も敵意もないのだから、相互に互いの事情を勘案して歩み寄る姿勢が大事よね。

向こうは僕の耳の悪さを共感できないのだろうし、僕にしても、たかが声だろ、はきはき大きく喋れよという想いがよぎらないでもない。

耳の悪いこちらは普段の声も次第に大きくなっていくのいで声量格差は広がるばかり(泣)

ま、補聴器も視野にいれて、もう一度普段の生活を見直してみます。

ただ、闇雲にハラスメントと名付けて、他人の弾劾するのはいただけない。ハラスメント=いやがらせとは便利なもので、どんなものにでも接続できるのだ。

セクハラにはじまりパワハラアカハラ、マタハラなどなど。多種多様なハラスメントが生まれてきた。そんな流行の尻馬に乗って、鬼の首を取ったように「それ〇〇ハラだろ!」と安易に使えば後悔することになるかもしれない。

僕もある人に「君のやっていることはパワハラだろ」と指摘されたことがあるが、あまりの牽強付会ぶりに呆れてしまったことがある。

ちょっと字義を大きく取ってみれば、すべてのハラスメントは力関係のギャップにもとづくパワーハラスメントに違いない。そして、そういった力関係のアンバランスは人生のすべての隙間に溢れてて、考えようによれば、どんな場面にでもハラスメントを発見できるだろう。

というか、完璧に対等な関係というのものが実はありえないのではないか。シュチュエーションごとに変わったりするしね。

なので。

むしろ、当方としましては、どんなところにもハラスメントを発見するというハラスメントを提案したいね。

ハラハラ?

「おまえ〇〇ハラだろ」

「というおまえはハラハラだな」

という小学生のような返し笑。「バカいうたほうがバカなんやでぇ」の世界だ。

ハラハラの次はドキドキも出てきそうで怖いな。

いや、ドキドキしたいけど、ハラハラはあまりしたくないのが人情である。

だから「〇〇ハラ、〇〇ハラ、〇〇ハラ」のたまうタイプにはあまりお近づきにならないのが懸命だと個人的には悟った。

この手のタイプは他罰的であり、自分の振る舞いを検証したことがなく、多くの場合、自分の犯すハラスメントを周囲に許容してもらっていることに気付いていない。

かと言ってその攻撃性が内側に向かえば、速攻で鬱を発症するか自殺するかもしれない。死んでほしいとは思わないのでせめて遠巻きに眺めているのが吉。

たまに出くわしたら礼を失せぬようにご応接していれば充分である。

……そしていつの日か。

彼がひとりぼっちの戦争に疲れて帰ってきたら、

「おれわかったよ、ハラハラよりドキドキが欲しい(涙)」と切実に訴えたなら、

その時にゃ、面倒なことはみーんな忘れて昔日のように酒を酌み交わし、バカ話に花を咲かせればいいのです。