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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

EYEHATEGOD

たぶん20歳の頃、なぜか中国にいた僕は、ルームメイトの徴兵忌避韓国人のキムに連れられて掘っ立て小屋みたいなカラオケ居酒屋の地下のオーディオルームにて轟音で『PANTERA』を聴かされた。

このシリーズを見るとそんな思い出がよぎります。

お調子者の僕はキムに合わせて「いいねぇ」と言っていたものの、全然よさがわからず日本から持ってきたJーPOPでも聴いていたかったが、いまでは『PANTERA』も素敵に思える。

時の流れってやつぁ偉大である。

キムのやつは日曜になるたびに、全然アンプラグドじゃないギターをかき鳴らし隣室の同国人のミサを妨害し悪魔のように嫌われていた。

僕も巻き添えを食らって信仰厚く化粧の薄いコリアン女子たちに嫌われていたが、彼女たちはまだ整形前だったのかそれほど美人じゃなかったのでへっちゃらだった。

人生神より悪魔に寄り添いたくなる時期がある。

素行も性格もギリギリまで悪くしないと楽しめない時期。そんな人によっては「青春」とも呼ぶべき季節、ひねた心はへヴィでダークな音楽じゃないと慰められない。

でも、そこから抜け出す道を教えてくれのも同じ音楽だったりするから不思議だよね。

悪魔というのはなんだろう?

それはきっと宗教が神聖さを失い権威と因習に堕した時、宗教を一度破壊し、蘇らせるためのカウンタープログラムのようなものだろう。

だからそれはもともと神様の一部なのだ。たとえ非倫理的で破壊的だったとしても、やはり世界に必要不可欠な要素であるはずだ。

神様が名ばかり形ばかりになり、誰かの商売の道具にされた時、対抗馬としての悪魔が走り出す。それは疾走感のあるビートになり空気を震わすシャウトとなり、すみやか時代を更新させる。

おどろおどろしいファッションや過激な言動にも関わらず、僕の見てきた限りではメタルやパンクをやっている人、好きな人というのは、人間的に素晴らしい人が多かった。

そうそうこんな話がある。

マザー・テレサの臨終のとき、彼女は当然、イエス・キリストが迎えに来てくれるものだと信じていた。

なのに、現れたのは悪魔だったそうである。

彼女は落胆した。キリスト教圏では悪魔は本当に忌まわしいシャレにならない存在だからだ。

が、マザー・テレサはその悪魔こそを、光を求めてきた自分の反転した姿、最期に受け入れるべきもうひとりの自分だと認めハグをした。

その時、マザー・テレサは大いなる赦しと悟りを得たという。

ゲド戦記にもまったく似たようなエピソードがある。このような統合のイメージはより僕らを寛容に懐深くしてくれる。

世界にひとりぼっちでいるよりは、たとえ悪魔だろうと抱き合える相手がいてくれたほうが随分マシだからだ。

そして心から受け入れ抱きしめたなら、悪魔だっていつまでも悪魔で在り続けるとは限らない。