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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

シーザー・ミラン

メキシコから密入国してアメリカ市民になったというカリスマドッグトレーナーです。

huluの『シーザー・ミランの愛犬レスキュー』という番組で何の気なしに観たのですが、思わず引き込まれ全部観てしまいました。

シーザーのリハビリを受けた犬たちが見る見るうちに変貌を遂げていくのは、こういったリアリティ番組ならではの気持ちよさ、まるで魔法のようですね。

実は、うちの扱いにくいコーギー犬を飼っていた時期があり、そのとき、シーザーのことを知っていればもっと幸福な関係を築けていたかもしれなません。

この番組の素晴らしさは、犬と同時に必ず飼い主である人間も成長を遂げること。

むしろ、犬の問題は人間が原因であることが多いです。ペットは飼い主が思っているよりも相当飼い主の精神状態の影響を受けるようです。

もうひとつ、なるほどな、と思ったのは、犬とは家族や友人である前に、やはり「犬」という種族として扱わなければいけないということです。

安易に擬人化して人間と平等に扱ってしまうことで逆に犬は混乱してしまうこともあるようです。

ジブリ魔女の宅急便に印象的なシーンがありました。

はじめ、飼い猫のジジと話すことができたキキは、食事のときジジのミルクをテーブルの上に置いていたのです。つまり人間と同じ食卓、同じ高さでジジは食事をしていた。

しかし、後半、ジジとの会話ができなくなると、キキは、ジジに床でミルクを飲ませます。

つまり、動物の姿をした友達であったジジは、友達のようなペットへと移行したのでしょう。これはどこか悲しいことではありますが、やはり必要な通過点なのでしょう。

キキが恋や嫉妬や挫折や人間の醜さを知るとき、少女から大人の女性に変わっていきます。その過程で失ってしまうものはやはり失われるべきだったのです。

この変化した関係は、しかし両者にとって幸福なものだったと僕は思います。

彼らのコミュニケーションは変化しました。

人間の言葉を喋る猫という不自然な存在は消えてしまいましたが、より深い感情の交流がふたつの生き物の間に流れていないと誰が言えるでしょう?