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クレバスと炸薬亭

映画や本、お芝居などのレビューを中心にやってくよ。

CREEPY~偽りの隣人

この感じ知っている。

 

なんていうんだろう。現実を都合よく書き換えてしまうことによって常に自己を正当化し続ける狂人。作中ではサイコパスという言葉が使われている。そんな人と緊密な空間に居ることで彼の世界観に追従してしまう人間心理。

 

黒沢清監督の新作では、そんなおぞましい関係が描かれる。これは北九州の監禁殺人事件が元ネタになっていると言われているが、個人的にすごくイヤな手触りがあってたかが映画という引いた距離感では見られなかった。

 

隣人が何者かわからないという恐怖。一皮剥けば化け物かも‥‥という空想はたんに絵空事に終わらず、時に本物の悲劇として突きつけられる。

 

この物語は転居先の隣人がただの普通の人ではないのかもという薄気味悪さにはじまり、もっと恐ろしい洗脳と従属のシステムに行きつく。

 

我が家の近所でも似た事件が起こった。マンガ喫茶のオーナー夫婦に店員の女性が奴隷のように扱われたあげくに死んでしまったのだ。なぜ、逃げなかったのかという疑問が当然ながら怒る。逃げるチャンスはあった。通報する機会も。

 

でもそれをできない心理的機制が働いてしまい、事態を打開する行動を起こせなくなってしまうのだ。これは勇気があるとかないとかいった問題ではないところが複雑なんだよね。

 

ある条件下では人間はそうなってしまう。パブロフの犬はたとえとして相応しくないだろうけど。

 

かくいう僕も似た体験がある。これは海外旅行というある意味閉鎖された環境の中で起こった。僕は同行者に旅のやりくりをまかせていた。「全部わたしが引き受けますから、いっしょに行きませんか」そんな感じで誘われたのだけれど、申し訳ないので電車や飛行機の手配のために手数料は払った。彼はその国に長期滞在していたことがあり馴れているのだった。

 

現地ではいろいろ衝突があり、僕が悪かった部分も多いのだが、どのような問題であれ基本的に彼に逆らえなくなった。また意見することを次第に許してくれなくなった。僕は無事に日本に帰ることだけを願ってすべてを我慢した。あと数日、あと数日、と祈るように数えてきたことを覚えている。

 

日本にいるときには見えなかった彼の壊れた部分がその国では見えた。旅の途中、彼の言い分はまるで狂気だった。そして彼の組み立てた論理と整合性に歯向かうのが恐ろしくなり、帰国しだいこの人とは縁を切ろうと思った。そして僕はそれを実行したのだが、いまも後悔していない。

 

なんというか、決して近づいてはいけない人に僕は慣れ親しんでいたんだ、というのが結論だ。何かを見誤っていた。日本では温厚で素朴な感じのタイプで、彼を慕う人も多い。反面、離れる人も多く、彼はそれがなぜかわからず「寂しい」と言っていた。また会社は問題続きでいつも辞めるハメになっていた。曰く、自分は悪くないのにトラブルに巻き込まれる、という。運が悪いらしい。

 

その時は、そんなもんだろう、と納得していたのだが、いまならわかる。きっとほとんどのトラブルが彼自身が招き寄せていたんだろう。あまりに自己完結した人間は自己に疑問を立てることができなくなる。その完結っぷりに僕は恐怖した。

 

ともかくこれは僕の恐怖体験のひとつとなったのだが、今回の映画を見て、その時の苦い体験を思い出した次第。

 

これは夫婦関係などでも起こりうるだろうし、サークルや部活でも起こるし、いまも起こり続けてると思う。普通は殺人などの極端な結末にまで至らないだろうけど、それは外界とは違う狂った世界観で人間を囲い込むだろう。

 

映画の中に出てくる監禁部屋は、まるでそのおぞましさを具現化したかのようだった。またその男(西野と呼ばれる)の自己完結っぷりを強固に象徴していた。

 

僕はあのようなものが心底怖い。